AER: Insightsについての雑感

 
2017年12月に米国経済学会が新雑誌"American Economic Review: Insights (AER: Insights)"の創刊をアナウンスし論文投稿受付を開始しました。2019年に創刊号が出る予定です。
 
私の論文"The Violent Consequences of Trade-Induced Worker Displacement in Mexico" (Melissa Dell氏とBenjamin Feigenberg氏との共著論文)は幸運なことに2018年6月に採択され、創刊号に掲載されることになりました。
 
 
この論文の投稿前、採択後でいろいろ情報、意見収集したので、この雑誌に関する私の現時点での考えを書きたいと思います。
 

AER: Insights創刊の意図

公式HPを見ると以下のように書かれています。

AER: Insights is designed to be a top-tier, general-interest economics journal publishing papers of the same quality and importance as those in the AER, but devoted to publishing papers with important insights that can be conveyed succinctly. 

https://www.aeaweb.org/journals/aeri

 
さらに米国経済学会がこの新雑誌を作った背景としては、経済学の論文が過去数十年でどんどん長くなり、査読も時間がかかっていたということがあると思います。例えば以下のWall Street Journalの記事でその背景が説明されています。
 

また、経済学における実証研究やより政策に密接に関係する研究が増え、政策的なホットトピックに関して質の高い実証研究をタイムリーに出版することに対するニーズが高まっているということもあるのかもしれません。

 

AER: Insightsの特徴

少なくとも以下の2点があげられると思います。要は短く、速く、ということですね。

  • AERに比べて短い(字数制限は6000語でAERの3分の1前後。ただし、より短いノート形式の雑誌であるEconomics Lettersの約3倍なので、そこまで短いわけでもない)。図表数は最大5個。
  • 投稿して、レフェリー査読に送られた場合、その結果はリジェクトか、条件付採択のみ。エディターはExpositional change以上を要求しないことにコミットする。

なお、最初の字数、図表数制限はScienceを参考にしたと言われています。実際似ています。Scienceが社会科学系でもトップジャーナルになろうとする動きを見せて速報性で勝負しようとしてきたのに対抗したという説もあるようですが、真偽はわかりません。

AER: Insightsは成功するか

成功を"a top-tier, general interest economic journal"になるとして、かつそれを現在のいわゆるトップ5に並ぶレベルと定義しておきますが、こういうのは業界でみんなが成功すると思えば成功するし、失敗すると思えば失敗するという性質を持っていると思います。
 
成功しない(と皆が思う)かもしれない要因としては以下の要因があると思います。
  • 研究者が論文を書いたとして、それが文句なしのトップジャーナルの質であればなぜまだ評価が定まっていない新雑誌に投稿するのか。→新雑誌に投稿するからには文句なしのトップジャーナルの質ではないに違いない。→そういう論文が多く投稿されるからには平均的にトップジャーナルの質になるはずがない。という予想が自己実現する。
  • リジェクトされたら次にどうするか。論文の形式としては前述のようにScienceに近いがScienceは投稿できるトピックが経済学では限られているし現実的なオプションではない。論文を短縮化するには努力が必要で、それは次に生きない努力かもしれない。

成功する(と皆が思う)かもしれない要因としては、

  1. AERはもともとShort papers sectionというのがあって、今回AER: Insightsの発行にあたりそれを廃止した。業界的にはShort papers sectionの独立、手続き簡素化という説明もされているようで、AERのshort papersに載った論文は普通にAER扱いされている、というかどの論文がshort papers sectionに載った論文かを誰も気にしないレベルなので、Short papers sectionの独立なのであれば新雑誌もAER同等の扱いがされるはず。(ただし、Short papers sectionの独立、手続き簡素化という説明は公式にはされてないと思う)。
  2. 査読が速く、条件付採択か棄却のみで条件付採択からも8週間での再投稿が求められる。これはトップ5にそんなにがつがつしない大物やテニュア(中間)審査前の若手には強烈な魅力になる。
  3. 米国経済学会はAmerican Economic Journal (Applied, Micro, Macro, Policy) という準トップジャーナルレベルの新雑誌の創刊を約10年ほど前に行いそれに成功した実績がある。
  4. 米国経済学会はこの新雑誌の立ち上げに先立ち、American Economic Review: Papers and Proceedings (AER P&P)という、米国経済学会年次大会のプロシーディング集であって通常の論文査読がつかないがAERという名前を冠していたため業界に混乱をもたらしていた雑誌の名前を American Economic Association: Papers and Proceedingsに変更しAER ブランドを守る方向を打ち出した。新雑誌はそのAERを冠している(まあこれが原因で一部でAER P&PとAER: Insightsが混同されることはあるかも知れませんが)。
 などがあると思います。
 
ちなみに、現時点で近刊となっている論文のリストを見る限り、ホットトピックに関する大物のそれなりにすでに知られている論文(を凝縮して書かれたもの)が多い、という印象です。私の予想では、そういう論文は出版後5-10年の引用を稼ぐものなので、AER: Insightsは出版後5-10年間の引用件数では本家AERを超える可能性がある一方、本家AERに比べて、20-50年後に振り返ってあの論文が経済学のある分野を変えた、というような論文は出てきにくいような気もします。ただ、本当に出版後5-10年の引用を稼ぐならば、研究の方向もそれによって影響される面が出てくると思うのでまた違ってくるのかもしれません。

 

AER: Insightsに関するほかの論点

  1. 迅速な投稿処理のためにはデスクリジェクトの確率が相当高くなるはず。有名大学所属の研究者を含まない著者陣の論文にどれだけ開かれたものになるかは未知数。
  2. 長いAppendixが許されておらず、実証分析でRobustness checkがどの程度されていたらOKと思われるのかに関して基準が定かでない。すでにトップジャーナルに論文が掲載されていてエディターやレフェリーからの信頼がある人がさらに有利になる可能性がある。

これはは有名大学以外の著者に雑誌が開かれたものになるか、という論点です。これらが雑誌の成功に関係するかはわかりません(むしろ成功したら起きる現象かもしれない)。

 

私の経験

そもそもなぜ投稿先に選んだのか、ということは省略します(聞きたい人が万一いたら飲み会で)。

  • 投稿後ほぼ2ヶ月ぴったりで条件付採択の通知が来ました。そこから8週間の論文修正の期間を設定され、締切直前に再投稿。さらにその4週間後に採択決定通知。
  • これは相当に迅速でありそれだけですばらしいのですが、さらによかったのは、レフェリーレポートが3通あって2通が肯定的、1通が否定的評価で、否定的評価だった1通はある先行研究2本に対する貢献が不十分という評価だったのですが、編集長がその2本を読み込んだ上で「これらの論文に比べてちゃんと貢献があると思うけどその貢献がしっかり書かれてないのでしっかり書きなさい」と言ってくれたことです。また、全レポート3通を読み込んで、何をどうすればいいかの指示を詳細に(プリントアウトしたらA4用紙3枚分)してくれたことにも驚きました。
  • また雑誌が条件付採択か棄却しかしないということでレフェリーレポートの内容も他雑誌とはだいぶ異なりました。肯定的なレポートは基本的に説明、構成の改善が中心でした。否定的なものも恐らく貢献が十分でないと思ったらそれだけ書いて棄却していいよと指示されているのか、非常に簡潔なものでした。なので、やることが具体的だったのがとてもよかったです。もっともAppendix の表を本文に持ってこいとかあると、その分析のrobustness checkをやる必要があったり、この結果とこの結果もっと整合的に説明できない?とかいわれたりするとそれでまた追加分析をやる必要があったりして作業量としては"Expositional changeだけを要求"という文言から想像してたものよりかは多かったですが。
  • まあ、こうした編集長の熱意あるサービスとレフェリーの傾向が続けば雑誌の成功確率は高いように思います。
  • でも、実はこうしたことよりも、この雑誌成功するかも!、と一番思ったのは、投稿しただけで、2ヶ月で業界が一目おく雑誌から条件付採択がくるかもしれないというだけで、すごいハッピーな感覚を味わった時でした。

 

最後に

私の尊敬するある若手日本人経済学者が
 

トップジャーナルに載る論文には絶対トップジャーナル間違いなしの論文とトップフィールドでもおかしくない論文があって自分に書けるのは後者の論文がほとんどだから重要なのは、一本一本の結果には一喜一憂しないでそういう論文をコンスタントに出し続けることと一本一本の質をできるだけ上げることだと思ってる。

 

と言っていて、まあ、彼はトップ5に複数掲載済なので、大いに謙遜があると思いますが、それはおいておいて、私ができることは、
 
 
  • 今後の同トピックの研究を掘り下げて積み上げていくことによって論文の価値を上げ、さらには雑誌の価値を上げることに貢献すること。
  • 同じ質の論文を今後も書いていくこと。

だと思うので、これらに努力したいと思います。