大塚啓二郎「いかにして英文雑誌に論文を掲載するか」農業経済研究 2014
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個人的に好きなのは、この部分。
この文章にはお世話になりました。もっとも個人的には「自分の理論の知識、現実認識、計量の知識」を総動員するぞー、と思って取り組むと、あかんこの壁迂回しよ、とかいい助言くれそうなこの人とセミナーに呼んで相談しよ、と別の手段を取れる効果のほうが大きいかも。。 pic.twitter.com/jp09VitE8O
— K. Teshima 手島健介 (@tetteresearch) 2018年8月31日
他にもいろいろなことを言っていて、人によってはカチンと来る箇所もあるかもしれない(貼ったツイートの主がカチンと来ているわけではない)。
抜粋「このグローバル化した世界で,英文のジャーナルに論文を出していなければ学問をしたことにはならない.日本語で文章を書いても,日本人しか読めないからあまり意味がない.研究者である以上,必死になって英文のジャーナルに論文を掲載するように努力しなければならない.」 https://t.co/uoVRsJIahj
— 澤田康幸 (@yasusawada) 2018年9月1日
日本語で文章を書いてもあまり意味がない、とは思わないが、誰かが経済学よくわかってるとか会話するシチュエーションってどんなときなんだろう🤔
— K. Teshima 手島健介 (@tetteresearch) 2018年8月31日
「書かない大家」についてだいぶ嫌な思いをしたのではないか.>「あの人は論文は書かないが,経済学はよくわかっている」という話をよく聞くが,私は絶対にそれを信じない
— Takashi Hayashi (@tkshhysh) 2018年8月31日
「ダメでない若手がダメになる大きな原因は大学の学生の指導である。..若手を見ていると、教育熱心な人があまりにも多い。しかしそれは失敗のもとである。..英語で論文を書けない人がまともに教育できるはずがない」 >RT
— K. Teshima 手島健介 (@tetteresearch) 2018年8月31日
まあ、「日本語で文章を書いても,日本人しか読めないからあまり意味がない。」とか「英語で論文を書けない人がまともに教育できるはずがない」とかは思わないが、そもそもこの論考のタイトルが「いかにして英文雑誌に論文を掲載するか」かつ、若手研究者向けのセッションでの招待講演を基にした論考であることは考慮する必要があるだろう。
ただ、明示的に書いてないものの、教育、日本語論文といった大学研究者としての役割の一部分を、英語論文執筆ができるようになるという目的において否定しているのは、(1)それらは英語論文書けるようになってからでもよくできるようになるが、逆は難しいし、(2)最初から全部高水準でやるのも難しいし、かつ(3)補完性が大きくない(教育頑張ってもその副産物で研究はできるようにならない、日本語論文書いても英語論文執筆能力に直結しない)ので英語論文を書きたいのであればそれができるよう専念しろということかもしれないと思う。
(1)(2)は多分そうで、(3)は人によるのかもしれないが、講義(特に学部生向け講義)から論文のネタを見つけたと言っている人は、学生のために教育を頑張ってるというより研究のネタ作りに講義をしてる感じもしないではない(暴言かも)。その場合はそういう人は「教育頑張ってもその副産物で研究はできるようにならない」の反証にはならないだろう。あとは、若手じゃなくなってくると研究以外で忙しくなって「労働力」としての共著者、RA探し、訓練という面の教育の価値はより大きくなってくるのかもしれないが、まあ若手ならとりあえず労働力としてはまず自分が頑張って論文書けるようになってからそういうこと考えろという話だろう。